こんにちは。50代の看護師であり、二人の子供の母親でもあります。
今は中学生の子どもを育てているのですが、最近ニュースで目にした広陵高校の事件を知って、本当に胸が苦しくなりました。
被害者の学生は転校を余儀なくされ、加害者たちは自己弁護に奔走している…
「もし自分の子どもが部活や学校で同じように被害にあったら…?」
この問題は身近にもあり、自分の子供にも降りかかるかもしれない問題です。
そう考えると不安になりませんか?
いじめ問題はよく取り沙汰されていますが、結局は被害者側が転校等の環境を変える、さらにマスコミ、SNSに寄せられるバッシング等で2次被害にあって苦しむ…
加害者はそのまま社会生活を送っていく…
変えるべきは加害者側なのに…
今回、この事件を通して「なぜ被害者が守られないのか?」を一緒に考えてみたいのです。
被害者が転校を余儀なくされた現実
広陵高校の事件では、部活動の中で暴行や性的な強要があり、被害に遭った生徒は精神的に深く傷つき、最終的に転校を余儀なくされたと報じられています。
一方で、加害者や指導者側は「自分たちも大変だった」「誤解だ」といった言い訳に終始し、まるで自分たちが被害者であるかのような発言さえありました。
本来なら守られるべき子どもが学校を去らなければならない――。
この現実は、多くの親にとって到底受け入れがたいものです。
では、なぜ日本ではこのように
「被害者が追い込まれ、加害者が守られてしまう」
状況が繰り返されるのでしょうか。
なぜ日本では「加害者が守られてしまう」のか?
制度はあるのに、現場で活かされない
日本には「犯罪被害者等基本法」や「いじめ防止対策推進法」といった制度があります。
本来なら、被害にあった子どもが安心して学べる環境を整える仕組みがあるはずなんです。
ところが、実際の学校現場や警察での運用は不十分。
「報告義務があるのに動かなかった」「とりあえず内部で処理した」というケースが少なくありません。
結果として、被害者が守られるどころか、さらに追い込まれてしまうのです。
このような制度と現場のギャップに加えて、もう一つ大きな壁があります。
「被害者にも責任がある」という社会のまなざし
日本社会にはまだ、「被害者にも落ち度があったのでは?」と考える風潮が残っています。
これは心理学では Victim Blaming(被害者非難) と呼ばれています。
例えば、「部活に入っていたから仕方ない」「断れなかったのも悪い」といった声です。
でも、そんなことは絶対に違いますよね。
悪いのは加害者であって、被害者ではない。
ただ、このようなまなざしが根強く残っているからこそ、被害者がさらに孤立してしまうのだと思います。
そして、それを後押しするのが学校やスポーツの「組織文化」なのです。
組織・文化の問題 ― 勝利や体面が優先される
特に高校野球のような伝統ある部活動では、
「勝利至上主義」や「上下関係の厳しさ」
が当たり前になっています。
そのため、不祥事が起きても
「外に出すと学校の名誉に傷がつく」「勝利に支障が出る」
と考え、隠そうとする文化があります。
本来は被害に遭った子どもを守ることが最優先なのに、組織を守ることに力が注がれてしまう。
これこそが、日本の学校で繰り返されている現実ではないでしょうか。
親として、考えたいこと
私自身、中学生の子どもが部活動をしています。
もしもわが子が、いじめや暴力の被害にあったら…。
そしてその結果、学校を去らなければならなくなったら…。
考えただけで胸が締めつけられます。
でも、これは「他人ごと」ではなく、誰にでも起こりうること。
だからこそ、私たち大人が声をあげていかないといけない。
「加害者が守られて、被害者が苦しむ社会であってはならない」
そんな当たり前のことを、もう一度問い直す必要があると強く感じています。
まとめ
広陵高校の事件を通して見えてきたのは、
- 制度と現場のギャップ
- 被害者非難という社会心理
- 勝利や体面を優先する文化
この3つが重なって、被害者が守られずに苦しむ現実です。
私たち一人ひとりが、「おかしい」と感じたことを声に出すこと。
そして、子どもたちが安心して学べる環境を本当に作っていくこと。
今回の事件をきっかけに、少しでも多くの人が一緒に考えてくれることを願っています。
皆さんは、どう感じますか?
ご意見等ありましたらぜひお願いします。
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